伝えること [音楽]
元々子供の頃から言葉にして気持ちを伝えるということが苦手だった私。
そんな私の気質を分かっていた母は、「言葉に出来ない(し難い)分、
感情を表現するすべを持たせよう」と、母自身が音楽に助けられたという
ことも含め、自身もやっているので私にピアノを習わせ始めました。
私が習い始めたのは5歳のときでしたが、小学生くらいまでは
練習はあまり好きではありませんでしたが、普通に続けてきました。
それでも、私はハーモニーの変わり目など、色合いが変わる所が好きで、
「ここが好き」と母には伝えていました。
そして、中学になったころ、悲しいことがあり落ち込んでいた時、母に
「ピアノを弾きなさい。ピアノが癒してくれるから」と勧められました。
言われた時は、これまでそのうようにしてピアノに接したことがなかったこともあり
「そんな、ピアノなんて弾く気分じゃないよ」と思ったのですが、言われるように
弾いてみると、、、、、気持ちがスーッと軽くなりました。
その時に弾いた曲はベートーヴェンの「月光」ソナタの1楽章でした。
それからでしょうか、ピアノとの触れ合い方が変わった気がします。
相変わらず練習はあまり好きではありませんでしたが(笑)
本当に自ら練習したり勉強したいと思い出したのは、私はとても遅くて大学に入ってから
でした
そして大学を卒業しても、もう少し勉強したいと思い、更に勉強を続ける道に。
出来ていたか、伝わっていたかは別として、感情・感覚・思いを伝える・というこはずっと
目指してきたことで、私がテクニックよりも何よりも大切に思ってきたことでした。
これは子供の頃からの気質の「感情や思いがないのではなくて、心にあるけれども
なかなか表に表現できない」という物が、音楽を通してであれば恥ずかしがることなく
表現できる、できた、ということでもあります。
そしてもう一つには、大学くらいから更に表現に向かったのは「私には皆のようなテクニックは
ないから、その分音楽で伝えよう」という考え。
テクニックだって磨けば備わる物でしたが、テクニックが前面に出た演奏に魅力を感じなかった
ということもありますが、裏を返せば逃げでもありました。
しかしこれも、(大変遅いですが)大学4年の時の講習会で、「自分が
思っている表現をするためには、それを表現する為のテクニックが必要だ」という
ある先生の言葉で「逃げては駄目なんだ」と気づかされました。
それで、自分なりに色々な講義を聴いたり、本を読んだり、研究したりしながらいたおり、
ある先生から「伝えたいことは分かるんだけど、気持ちが空回りしてるよね」と言われました。
つまり、私が感じていること表現しようとしていることは弾いている姿から感じ取れるが、
実際の演奏の音として伝わっていない・ということでした。
この言葉もまた、転換点でありました。
まあ、このように山あり谷あり(?)苦悩してきたわけですが、ようやく色々なことが見えてきました。
それでもまた、1つ山を越えればまた大きな新たな山が立ちはだかるのですが。。。
でもこれが成長させてくれるのですから
ということで、まだまだではありますが、少しずつ実際の音として表現も伝わるようになってきました。
けれど、実際の言葉として表現することは、全然まだまだ駄目です
どちらが難しいのかな。。。。私にとっては言葉かも。。。。
お仕事だったり、人のことだと、どちらかというともしかしたら上手な方かもしれないのですが、
自分のこととなると
人っておかしなものですね。。。
こちらも訓練ですね。
同じ「伝える」術ですからね。
人には、その他に 美術、文章、バレエ、踊り、演劇、歌など様々な自分の表現手段が
あると思います。
どんな形であれ、自分を表現できる手段を持っている・ということは幸せなことですね
人それぞれ、自分に合った表現手段があると思いますが、何であれそれが見つかった人は
きっとより人生が豊かになる気がします。
皆さんも、自分なりの「何か」が見つけられると素敵ですね
そんな私の気質を分かっていた母は、「言葉に出来ない(し難い)分、
感情を表現するすべを持たせよう」と、母自身が音楽に助けられたという
ことも含め、自身もやっているので私にピアノを習わせ始めました。
私が習い始めたのは5歳のときでしたが、小学生くらいまでは
練習はあまり好きではありませんでしたが、普通に続けてきました。
それでも、私はハーモニーの変わり目など、色合いが変わる所が好きで、
「ここが好き」と母には伝えていました。
そして、中学になったころ、悲しいことがあり落ち込んでいた時、母に
「ピアノを弾きなさい。ピアノが癒してくれるから」と勧められました。
言われた時は、これまでそのうようにしてピアノに接したことがなかったこともあり
「そんな、ピアノなんて弾く気分じゃないよ」と思ったのですが、言われるように
弾いてみると、、、、、気持ちがスーッと軽くなりました。
その時に弾いた曲はベートーヴェンの「月光」ソナタの1楽章でした。
それからでしょうか、ピアノとの触れ合い方が変わった気がします。
相変わらず練習はあまり好きではありませんでしたが(笑)
本当に自ら練習したり勉強したいと思い出したのは、私はとても遅くて大学に入ってから
でした
そして大学を卒業しても、もう少し勉強したいと思い、更に勉強を続ける道に。
出来ていたか、伝わっていたかは別として、感情・感覚・思いを伝える・というこはずっと
目指してきたことで、私がテクニックよりも何よりも大切に思ってきたことでした。
これは子供の頃からの気質の「感情や思いがないのではなくて、心にあるけれども
なかなか表に表現できない」という物が、音楽を通してであれば恥ずかしがることなく
表現できる、できた、ということでもあります。
そしてもう一つには、大学くらいから更に表現に向かったのは「私には皆のようなテクニックは
ないから、その分音楽で伝えよう」という考え。
テクニックだって磨けば備わる物でしたが、テクニックが前面に出た演奏に魅力を感じなかった
ということもありますが、裏を返せば逃げでもありました。
しかしこれも、(大変遅いですが)大学4年の時の講習会で、「自分が
思っている表現をするためには、それを表現する為のテクニックが必要だ」という
ある先生の言葉で「逃げては駄目なんだ」と気づかされました。
それで、自分なりに色々な講義を聴いたり、本を読んだり、研究したりしながらいたおり、
ある先生から「伝えたいことは分かるんだけど、気持ちが空回りしてるよね」と言われました。
つまり、私が感じていること表現しようとしていることは弾いている姿から感じ取れるが、
実際の演奏の音として伝わっていない・ということでした。
この言葉もまた、転換点でありました。
まあ、このように山あり谷あり(?)苦悩してきたわけですが、ようやく色々なことが見えてきました。
それでもまた、1つ山を越えればまた大きな新たな山が立ちはだかるのですが。。。
でもこれが成長させてくれるのですから
ということで、まだまだではありますが、少しずつ実際の音として表現も伝わるようになってきました。
けれど、実際の言葉として表現することは、全然まだまだ駄目です
どちらが難しいのかな。。。。私にとっては言葉かも。。。。
お仕事だったり、人のことだと、どちらかというともしかしたら上手な方かもしれないのですが、
自分のこととなると
人っておかしなものですね。。。
こちらも訓練ですね。
同じ「伝える」術ですからね。
人には、その他に 美術、文章、バレエ、踊り、演劇、歌など様々な自分の表現手段が
あると思います。
どんな形であれ、自分を表現できる手段を持っている・ということは幸せなことですね
人それぞれ、自分に合った表現手段があると思いますが、何であれそれが見つかった人は
きっとより人生が豊かになる気がします。
皆さんも、自分なりの「何か」が見つけられると素敵ですね
2010-05-10 15:36
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